白夜行―途中経過―

毎週木曜日夜9時から入る、ドラマ版白夜行
私はこれを去年からチェックし見続けてきた。

第一話目は始まった瞬間に驚かされた。
まさに小説では最後の最後にオオトリとして華々しく最後を飾る場面として温められていた場面を、あっさりと一番初めにもって来ていたからだ。
普段お笑いをあまり見ない私だけど思わず心の中でつっこんでしまった。

「そこからかよっ!主人公もう死ぬのかよっ!」

と。

明らかに予想範囲から外れたことだったことが私にはかなり堪えたようで、暫く小説との差を吟味する余裕もなく、放心していた。

そして子役たちの素晴らしい演技を見て、ドラマである白夜行の素晴らしさを感じた。
それから毎回欠かさず見ていた。木曜日がくるのを楽しみにしていた。

ドラマならではのやり口がよかった。
まずは、視点。
小説でははっきり言って、雪穂と亮二の思考が書かれておらず、まわりからその2人の言動を見る形をとって、2人の繋がりも関係も書かれてはいない。だから2人の苦悩や思いや繋がりに主軸を持った形でしかドラマ化はできなかったのだ。描かれなかった部分をドラマでは描く。小説と一致するのは事実だけ。でも、それもときどき一致しない部分もある。たぶん視聴者が主人公に共感を持つように、よりドラマチックに見せるための付け加えだろう。私もそれは否定しない。時間と出演者の人数にも限りあるだろうから。小説はやはりよりノワールだ。

実は私は白夜行の小説が好きではなかった。
東野圭吾ファンの多くが支持し東野氏の代表作だと叫ぶ作品ではあるが、どうも私には納得がいかなかった。その理由は、私がぬくぬくと幸せな環境のもと育ったからかもしれない。雪穂は幼少期にああいう犯罪に被害者として巻き込まれていた。それだからこそ納得がいかない。あの雪穂の行動に。同じことは絶対できないと思うからだ。手段として絶対に選ばないと思うからだ。

だからはっきり言うとドラマのほうが「白夜行」として好きだったりする。

ドラマの配役にも最初違和感を覚えたが、だんだん慣れてきた。ただ許せないのは、私が小説の中の登場人物の中で唯一気に入っていた江里子の配役だ。驚いた。物静かで、雪穂という大輪のバラの側で、静かに咲くカスミソウのような存在だった江里子が、ああいうやかましい風に演技されるとは。彼女がみる世界観も好きだっただけに、見るたびにイヤだった。あの女優さんは本を読んでいないのだろうか。それともあの子の解釈はそうなのだろうか。あまりに悲しい。

東野さんが、ドラマHPで「評価は最後まで観てから」と言っていたからそうしたいと思うが、この一点だけは痛かった。

配役で渡部さんを使ったことは、松浦の最後のシーンでやっと分かった。このシーンにこれだけの演技ができるのは彼しかいない。この配役だけは合点がいった。

全体的に白夜行の小説世界よりもドラマの世界の方が好きだ。
これからも見ていくつもりだ。