夜明けの街で

夜明けの街で  東野圭吾


不倫する奴なんて馬鹿だと思っていた。


 こんな文から始まるこの本は、不倫をテーマにした本だ。
さらにその主人公、渡部の不倫の相手秋葉(あきは)は15年前のある事件を背負っていた。時効が迫るその事件は、彼女の心に見えない傷跡を残し、さらには容疑者として疑われるはめに陥らせていた。
 その事件とは、秋葉の父の秘書であり愛人であった女性が、秋葉の家のセンターテーブルの上で、ナイフで刺され、殺されていたというものだった。
 不倫という地獄にも似た甘い時間の中で、主人公渡部はどんどん秋葉との逢瀬に惹かれていく。その中で事件と秋葉の関わりについて考えるようになり、真相を知りたいと思うようになる。

 秋葉という女性は、決して悪女のように妖艶な女ではなく、むしろさばさばとしていて、浮気するような男性とは絶対に付き合わない、と言つ放つ女性。さらに言うなら、憂さ晴らしにバッティングセンターに一人で行くような女性だ。つまり不倫相手という言葉から連想するようなタイプでは無いのだ。
 男もまじめで、不倫とは程遠いタイプ。そんな大多数をしめる「不倫するタイプではない」二人が不倫の恋に落ちるからこそ、読者の共感を得るし、面白い。

 さすが東野さん。というのが感想だ。不倫についても上辺だけでなく、まるで不倫したことがあるかのような心理描写、さらに家庭の描写でのめり込まされた。そしてもう一つの柱になっている事件についても抜けめないものがある。15年間黙っていた真実が、最後に明かされる。それは、どんでん返しと言ってもいい。私の予想は裏切られた。巧みな文章での誘導があったからこそだが、私は久しぶりに満足した。
 そういえば、今回映画化されるこの作品。
 よく言われるのが、原作を先に読むか、映画が先かだが、私は迷わず原作を先に読んでから映画を観ることをお勧めしたい。
 理由は、東野圭吾さんの本に限って言えば、その一文一文が最終章に向かってピラミッドのように積み上げられていき、最後のピースを効果的に埋めることに心血を注がれているような構成が多い。ゆえに、その最後の真実を知ったままでは半減以下しか楽しめないからだ。でも、映像は違う。真実を知ったままでも、いや知っているからこそすべての複線を映像から感じることができる。結末を知っているからこそ映像化がより楽しめるときもある。東野圭吾さんの作品の映像化ではそう思うことが度々あった。
 
 物語というのは、本当に面白い。
 実際に経験していないことも、まるで経験したかのような錯覚を覚えさせられる。今回はテーマが不倫だったが、自分が不倫したらどうなるかを想像するように仕向けられた気がした。この本の結末は言わないが、私はこの本を読んだ後も、読む前と変わらず不倫したいなどどは思わない。